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商店街あれこれ

菊名をもっと知ろう!

 菊名西口商店街が、駅前商店街のモデル事業として整備された頃昭和51年ごろ、入り口のマーケットと奥の柳町通り商店街が統合化し、「まちづくり協定書」を作成して振興組合が発足した。 今回は、初代理事長の堀江薫氏に当時の様子をお聞きした。
 「現在、昭和50年頃には珍しかったレンガ敷きの通路をつくり、モデル事業として補助金をもらい街灯なども整備しました。オープンの時には、当時の飛鳥市長もお見えになって盛大なものでしたよ。昭和40年代には、商店街奥に中規模のスーパーができたこともあり、相当にぎわっていた西口商店街でしたが、そのスーパーが撤退し、東急東横線改札まえに東急ストアができたばかりでしたから、商店街としては起死回生の意味でもとても期待された事業だったのです。」 そして、商店街での売り出しでは、お客さんとともにバスを連ねて懸賞旅行などに出かけたり、家族ぐるみのおつきあいが盛んだったそうです。 堀江さんのお店は、生鮮食料品からアルコールまで扱うスーパーでした。特に地元野菜や自然食品にはこだわりをもって販売していたそうです。現在は、NPO法人びーのびーのが堀江さんのお店を借りて、乳幼児と親のための「親子のひろば」を運営をしています。
 商店街の脇は小川が流れ、のどかだった昭和30年代今はマンションの建つ商店街の奥あたりは、一面の草原で小さな小川が流れていて、メダカも捕れたそうです。写真を見ると、JR菊名駅舎は小さく簡単な作りで子どもたちは草原の土手を上っていくことができたそうです。当時、商店街に子どもたちは多くこの草原が格好の遊び場。YAMATA亭のご主人高橋さんは、小さい頃行方不明になり、商店街中の人が探してくれたという逸話が。本人は、友人宅に上がり込んで夕飯を食べていただけだったとか。。。 どこの地域にもそんな時代がありましたね。

写真提供:神林様 1975年頃
 錦ヶ丘の桜 知る人ぞ知る、商店街近くの錦ヶ丘の桜は、樹齢60年以上で春には素晴らしい景観を楽しませてくれます。実は、車の通行にじゃまになると言われても切れない理由がありました。大正15年、東京横浜電鉄が丸子多摩川より神奈川(反町先)まで部分開通しましたが当時まだ乗客が少なく菊名駅周辺の宅地開発がすすみました。なんと通勤のための定期代を1年間無料にし、モデル住宅などを建てて菊名住宅地として宣伝したそうです。現在の宅地開発の走りだったのですね。 昭和8年には100世帯となったため住宅組合を結成し、事業の手始めに翌年4月皇太子殿下(現在の天皇陛下)ご生誕記念として桜335本を植え、錦ヶ丘と呼ぶことになったのです。 錦の御旗、桜と錦ヶ丘はそんないわれがあったのですね。

*神林様写真提供ありがとうございます。